辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大
 
「南地」「難地」「サウスランド」「サファリングランド」なのか?と、解釈しようとすればするほど抽象度がさらに高まる。ナンチはもしかすると実在する場所ではないのかもしれない。いや実在するとかしないとかは取りに足りないことで、「ナンチ」を複層的・重層的に問うことで詩は、詩的実存を高め、顕在化することができることを知っているかのようなのである。なんといっても一連目の最後の「それだけのことだ。」のつきはなした距離感が、この作品を普遍性のある詩に昇華させている。そして最終連の、「万年前や千年先の気配に満ちる」ことで、最終的には自身の直截性を遠ざけ突き放した場所で、「星あかりにほのめく水際に」、「警察官の長女や
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