辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大
 
女やジョロヤの女たち、カツヒコちゃん、髪ふりみだしたオイシさん、松林で首を吊った青年、厩舎の大男や女、宣教師たちが入江をかこむようにぼうっと両手を垂らして葦の陰に立っていて」、「みなびっくりするほどいたずらっぽく笑っている」のを、客観視するに至るのだ。「ナンチが消えさったいま」、わたしは、「無人の入江のように哀しんでいる」という、この宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に通底するかの哀切な、浄化された清らかな童話的世界は、慟哭の後の静寂にみたされることで、見事なまでに彼のミクロコスモスを完成させている。

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