辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大
束されていなかった。ただ、かわたれどきのナンチでは青い矢車草がいっそう透明に青み、
ひとびとの吐息も青く澄んだ。コスモスも他の土地よりいちだんとうす青く、狂うほど美しく空を染め、風がその
青をはこんだ。それだけのことだ。
ナンチは南地と書くのかもしれなかったし難地なのかもしれなかった。サウスランド。サファリングランド。正
確なところはわからない。ナンチには正確なところなんかなにもなかった。だれもナンチの仔細を知らないふりを
していた。じっさい知らないのかもしれなかった。ひとびとは顔にはださず、たがいにうたぐりあいながら、いつ
までも船出しない小舟のようにたが
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