器官なき身体の覚書/イリヤ
”(リゾーム)のネットワークとして措定しなおすことによって、分裂分析(スキゾアナリーズ)は無意識を“生産すること”(ラテン語でconficere「生産する」であり、仏語でconfit「望ましいが不可欠でないものla cerise sur le gâteau」)に辿りつく。私たちが求めていたものは、何?それは優れた音楽に似たものであり、まさしく最終的に至る無為の生産性であり、そこに私は詩を見いだすのだ。優れた音楽への欲求が、私たちには欠乏している。
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求められているのは結果(数値)ではなく経路である。ある一つの二元論を援用するのはもう一つのあらたな二元論を斥ける
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