『プレーンソング』覚書/DNA
 
でしょ」

「物語性」への執着や表現の欲求をもたないようにみえるゴンタは粗筋が覚えられない。物語る欲望もない。

では何故、ビデオを常に携えているのか。
それは個人が手持ちでだらだら撮るビデオ映像は徹底して受け身だからだ。

ゴンタ自身の思考方法は受動的にひとの集まる〈場〉でひとが醸し出す空気のようなものを写し取ろうとするものだろう。

その意味では「存在」そのものがどこか幅をきかせている、同じように映像機器(写真器)を持ち歩いているアキラとは対称的な位置にある。

しかし、語り手である「ぼく」はアキラもゴンタもその他多くのちょっと浮世離れしているようだが、魅力を
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