詩と宿命/yamadahifumi
の手段としての知性はない。・・・そして過去の知性とは現在の現実を越える為に人間が表した一つの内的手段だった。彼らは現実を越えるために書いたのだ。・・・知的なものに信奉するためではない。知性とは宗教ではない。そうしたものに入れば、ただちに価値を認められるようなものではない。・・・人はカントの哲学を見る時、その知性を食い破って、その奥にあるものまで見なければ真に「見た」とは言えないのだ。
偉そうな事を書いたが、現在の詩もまたそうだと思う。詩に、一つの宿命が感じられない。従ってその詩には内的根拠が乏しく、(華美だが)どうしてもその詩に入り込めない。それは詩人そのものが一つの宿命を、「人生」をーー持っ
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