詩と宿命/yamadahifumi
義連中は個人として、作者不在の、「無」としての宿命を背負っていたということだ。彼らは徹頭徹尾、論理的で思推的な人々ではない。それはあくまで「無」という宿命を背負わされた個人なのだ。
こうした事を人々は無視することによって、あの現代に独特な、華やかで論理的であり、知性的でもあるが全体としては何か空疎な、何かが欠けているような知の地盤ができた。・・・彼らがその根拠をどれほど過去の賢人に求めようと、空しいのだ。彼らのそれには内的な根拠が欠けている。「無」の哲学ですら、無という悲劇を個人が背負っているのだ。(フーコーを見よ。)彼らには内的根拠が欠け、また知的なものへの憧れはあるが、現在を越えるための手
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