詩と宿命/yamadahifumi
 
 かつての詩人は宿命的であった。中原中也や萩原朔太郎、そして吉本隆明や田村隆一といった詩人もまた、部分的には宿命的であった。彼らの詩が良い詩であるということと、彼らの詩が一つの宿命の主調音を奏でているということは別事ではない。・・・ただ、現代において、人間不在の思想が流行り、テクストという言葉が研究家達に一般に用いられるようになってから、人間の宿命ーーーいわゆる一人の作者の宿命は軽んじられるようになった。そして日本の数多の研究者(と称する)連中もまた、そうした時流にのって、作者不在の哲学や詩論、詩をものした。・・・だが彼ら(日本の研究者達)が誤解していたのは、そうした西洋ーーーフランスの構造主義連
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