岩尾忍詩集『箱』小論/葉leaf
 
って、論理の破綻と論理の正常な遂行は同じ平面の上でなされているわけである。

私が人である時 お前は鳥であり
私が籠である時 お前は人であり
私が鳥である時 お前は籠である
時として

私がそのいずれでもない時
夕闇に溶けている時 その時だけ
お前はぴったりと
私に重なっている
      (「時として」)

 ところが、身体というものは統御されないものでもある。いわばそれは、統御の働きが、意識の働きが、反省の働きが成立する以前にそこに在るものでもある。身体は意識と物体とを単純に折衷して出来上がるものではない。確かに、意識は物体的であり、物体も意識的である。意識の中には常
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