岩尾忍詩集『箱』小論/葉leaf
特に岩尾の詩に顕著だったのは、二人称や三人称を厳然とした他者として扱うのではなく、むしろ、自己の身体の変形したものとして、自己を反省的にとらえ返すものとして、二人称や三人称が用いられていた点だ。さらに、岩尾は他者をも自己の身体の中へと組み込もうとしていた。
さて、岩尾の詩に特徴的なこの傾向はいったい何を意味するだろうか。私はそこに一種の不安と安堵の絶えまないいたちごっこを感じる。「私」がいったい何者であるか分からない、そういう不安。そして、世界の側、他者の側の存在も何者・何物であるか分からない、そういう不安。その不安を解消するために、自己を異なった形でとらえ返したり、他者をも自己の中に取り込ん
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