岩尾忍詩集『箱』小論/葉leaf
込んだりする。そのことによって一応安堵する。ところが、身体というものは常に統御し続けることが不可能なものであるから、統御されない未明の身体は絶えず同定できない流動的な存在を分泌し続ける。だから、岩尾は完全に安堵することができない。自己を「お前」などとして対象化しても、他者を自己の中にとりこんでも、それもつかの間、いつの間にか自己から何かが抜け落ちていくし、他者は再び他者に戻っていく。岩尾はその統御されたものが統御されないものとして自己から分泌されていく、その事実に敏感なのだ。それゆえそこから絶えざる不安が生じ、不安を解消するために自己の同定を続けなければならない。この同定作業を象徴する物が「箱」ではないか。「箱」とは自己の身体であり、自己の同一性である。岩尾がこの詩集でやりたかったことは、自己の身体が絶えず他者として自己を分泌していくのを、あくまで「箱」の中にとらえ返そうとする、その運動ではなかったか。
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