岩尾忍詩集『箱』小論/葉leaf
合、まずは詩と身体の類似性について語ってもよいのかもしれない。詩も身体も、様々な起伏に富んで様々な差異を含んでいる一つの様式によって成立している。だから、詩を書く過程と身体を動かす過程は似ている。詩は作者の感受性の様式に従って、部分同時が連携しあい、意味づけ合いながら書かれるだろうし、身体もまた、その存在や習慣の様式に従って、パーツ同士が連携しあい、含み合いながら運動するだろう。そして、詩も身体も、作者の統御のまなざしで強く規律することができる一方、その統御から逃れて未明の流動的な領域で様々に変幻することが可能だ。そして、詩の内部のモチーフにおいて、身体はさまざまな形態をとってあらわれてくる。特に
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