岩尾忍詩集『箱』小論/葉leaf
ったのかもしれない。つまり、統御された身体としても、統御されない身体としても、作者の側にあったのではなく、純然とした他者として世界に転がっていたのかもしれない。ところが、岩尾はそれを自己の身体と結びつけていく。「箱」は、そこに何かを入れるものであり、抱いていくものである。何かを手にとり箱に入れる、抱いて歩いていく、その触覚と重みと運動、それらによって「箱」は作者と結び付けられていく。ところが、箱はそもそも身体ですらない。だが、未明の身体、つまり、反省以前の根源的な身体であれば、それが箱になることも可能であった。逆に言えば、箱は、無名の身体として作者の身体の一部になって入り込むことも可能なのだ。そし
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