田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
 
にかく修辞的に面白い詩行を書こうとして、特に実感もないのに言葉遊びとしてこの詩行を書いたとしよう。ところが読者としてはこの詩行の背後に実感があるのか、それともこの詩行が単なるレトリックであるのか、判断するのは難しい。当然文脈によってある程度は判断できるが、それも決定的ではない。読者Cは、詩行の背後の実感を信じる読者だとする。一方で読者Dは、詩など所詮すべてレトリックに過ぎないと信じている読者だとする。読者Cが単にレトリックで書かれた詩を実感に基づく詩だと読むとき、そこには誤読がある。また、読者Cもいつか気付くであろう。すべての詩が実感に基づいているのではないということに。すると読者Cもいずれ読者D
[次のページ]
戻る   Point(4)