田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
 
。まず、「宙に浮いている」ことが真か偽かを考えたとき、それの書き換えの真偽を考えなければならない。ところで、書き換え方は多数あるのだから、そのすべての書き換えにおいてその書き換えが真であるとは考えられない。詩人が現実から遊離しているのは真かもしれないが、詩人が軽快さを保っているというのは偽かもしれない。とすると、引用部の真偽は決定不能ということになる。つまり、引用部の真偽は意味論的にフィクションでもノンフィクションでもない。
 次に、引用部は言語行為的にはどのようなフィクション性を備えるか。1.2.で見たとおり、田村は飄々と無責任に断定を繰り返す男だから、田村の発語内行為は、真実を主張する意図を
[次のページ]
戻る   Point(4)