田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
のは、類似性を介して、真偽を持つ通常の文に書き換えることが可能であるが、その書き換えの可能性は複数ある、という立場をとることにする。どれが正しい書き換えであるか、日常的な隠喩の場合は決定されることがあるが、詩における隠喩ではむしろ正しい書き換えなど存在せず、複数の書き変え方がそれぞれに可能なものとしての地位を付与されると解する。「宙に浮いている」という詩行は、「現実から遊離している」「軽快さを保っている」「通常人には達せない境地にいる」など複数の詩行に書き換え可能であるが、どれが正しい書き換え方であるかは決定されない。
とすると、引用部は意味論的にはどのようなフィクション性を備えるだろうか。ま
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