田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
 
どどうでもいいといった思想なのである。つまり語用論的にはフィクションとノンフィクションの中間のようなものだ。一方で、後半はこれまた田村独特の思い出語りであり、この思い出語りは「俺は垂直的人間」と豪語した田村が実は水平的だったことを実証しているようなものである。その論点には深入りしないが、結局この部分は年寄りが自分の惰性に従って気楽にありのままを語っている、そういう語りであり、ことさら気張って想像力たくましく思い出を偽装しようとする語りではない。つまり後半は全くのノンフィクションなのである。つまり、一篇の詩の中でもフィクションとノンフィクションが混合していて、その詩全体についてフィクション/ノンフィ
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