田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
合、詩人は実感を実感として語り、それが実感として受け取られる。そこに何らフィクション的要素はなく、詩人が実感を率直に伝えたいという欲求は満たされ、読者も詩人を信用して騙されることがない。
(2)意味論的ノンフィクション―言語行為的ノンフィクション―ごっこ遊び的フィクション
この場合、詩人は実感を実感として語るが、読者はそれを虚構として受け取る。いくら詩人が真実を率直に語ろうとしても、読者はもはや詩人を信用していない。詩において、詩人と虚構の語り手との分離が起きていないにもかかわらず、読者は分離していると信じているから、詩人は自分の実感が読者に届かないもどかしさを感じ、読者はせっかくの詩人の真
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