田村隆一論??フィクションの危険/葉leaf
 
た現実の言葉を、まずは誰によっても語りえないような奇妙な女性認識としてとらえる。現実の言葉を、非現実の語りとしてとらえ、その両者を想像の中で重ね合わせるのである。そして、そこで行われる非現実の語りは、解釈の余地を多分に残しており、読み方が田村によって十分指定されていない。私の提示した読みは、同じ詩の中の「顔は女性の性器そのものだから」という詩行に触発され、だったら顔以外の魅力的な部分も女性の性器として田村はとらえているのだろう、との推測に基づく。だが、これはあくまで推測で、引用部の解釈の余地の広さは否定できない。
 このように、解釈の余地を広く残すような修辞的な思想を田村は好むが、そのような語り
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