谷川雁論??自己愛と自由/葉leaf
 
ではない。私の価値など絶えざる変転の相にあるわけであって、私が自己を祭壇の上に神秘化しその位置に安住しているわけではない。それに、私は一方的に友人のことを規定しようとしているのではない。私と友人はお互いに規定し合っている関係にあるわけで、互いの自由を承認し、もし相手が詩が気に入らなかったらそれも容認する、そういう気分で詩を勧めているのだ。そんな反論。これも正しいだろう。
 結局詩人というものは、自己や他者を規定し、自己や他者の自由を制限する姿勢で詩に臨むこともできるし、自己や他者を無規定にしたまま、自己や他者の自由を承認する姿勢で詩に臨むこともできる。本稿では、詩人の自己愛や自己神秘化というもの
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