谷川雁論??自己愛と自由/葉leaf
 
のものだった。彼の詩作の過程は、それゆえ、自らの身体を世界に投げ出すことによって、逆にその身体に他者のまなざしを無数に感じた、つまり、他者の視線を内在化していった、そういう過程ではなかったか。谷川は詩を伝達の手段として用いていたから、必ず受け手の存在というものが詩作の前提にあり、受け手の視線を自ら内在化することなしには詩を書くことができなかったのである。彼は詩を書くことで詩を殺し、王を殺し、自らを規定し即物化していた「詩人」というアイデンティティを殺した。彼はまさしく、詩人であるという彼のみに与えられていた状況と取り組み、それを超出し、新しい状況をつくったのではないか。つまり、彼は詩を殺すことで真
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