谷川雁論??自己愛と自由/葉leaf
 
無数のまなざしによって対自を主体性の無い即自存在にしてしまおうとする。他者に向き合うときの対自のことを対他というが、対他は、まなざしを向けるものになるか、まなざしを注がれるものになるか、その相克(conflit)という存在構造をなしている。この相克は、二つの態様をとる。まず、他者の自由の前に自らを差し出し、自らを対象たらしめながら、その他者の自由を自らのうちに吸収してしまう、という態度。典型的には愛である。もう一つは、対他がみずから他者にまなざしを向け、他者を所有するという態度である。この二つの態度を行ったり来たりしながら、対他は他者と絶えざる相克の相にある。
 この立場からすると、谷川が「原点
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