谷川雁論??自己愛と自由/葉leaf
、死ぬまで決してあるところのものであるような存在にはなれない。それゆえ、対自は無(néant)であり、世界内存在として、身体や状況によって支えられているにすぎない。ところで、対自が存在になれず実存するということは、自由であるということである。対自は自由でないことができない。対自は自らの行動を選択する。この際、対自は常に自由であり、存在理由などの確固とした拠り所を持たない。
それゆえ対自は常に不安である。そこで対自は即自へなろうとする。「なるようにしかならない」と自己を決定論的に根拠づけたり、ボードレールのように自己を「呪われた人間」と規定したり。自己の不安を消して何者かになろうと
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