谷川雁論??自己愛と自由/葉leaf
は、存在者を人間とその他の存在に分ける。人間は実存であり対自であり、その他のものは存在であり即自である。
即自(en-soi)とは、無規定的にそれ自体であり、創造もされず、存在理由もなく、ただ余計にあるものだ。即自は神的なものではないし完全なものでもないし真理を体現しているわけでもない。
対自(pour-soi)とは、存在について意識するものであり、意識と存在の間に裂け目(無)を介在させるものである。そして、対自(人間)は自己をも意識する。自己との間にも無を介入させるのだ。このようにすることで、対自は自己を超越し、自己をいまだあらぬところのものであるように変化させていく。だから、対自は、死
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