谷川雁論??自己愛と自由/葉leaf
 
」という思想の対立、などがダイナミックに展開されている。
 そして、谷川は詩を書くときにはあくまで「詩」を書こうとしていたと思われる。つまり、政治的なアジテーションを前面に出すというよりは、詩としての、文学としての芸術的完成度を高めて、その芸術性に触れて高揚した人間の精神を巧妙に煽動する、という手法を取った。だから、「東京へゆくな」とだけ言うのではなく、「あさはこわれやすいがらすだから」という抒情的な表現が必要だったのだ。ところで、「あさ」が「がらす」であるとはメタファーであり、「あさ」が「がらす」だから「ゆくな」「創れ」というのは正常な論理ではない。谷川は、このような修辞で美しい謎を作り出し、
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