殿岡秀秋小論/葉leaf
 
さわしい感覚である。「痛み」では現在的すぎるし、「わだかまり」では過去的すぎる。まさに過去の引力にひかれながらもなおも現在に顔を出さずにはいられない「うずき」こそが過去と現在を生理的につなぎ、過去を現在化するのに最も適している。
 さて、殿岡によって現在が見捨てられ、現在によって殿岡が見捨てられ、それでもなお殿岡は現在を愛し、現在の中からさらに愛すべきものを過去として強く愛し、また彼は現在の視点から過去を加工するとともに過去も現在化する。そんな中で殿岡の「苦悩」とは一体何であるのだろうか。それは彼の詩に頻出する「母」のモチーフを抜きにしては語れない。

  母の愛を求めて
  得られなかっ
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