殿岡秀秋小論/葉leaf
 
よみがえる

母の手のひらで叩かれた頬を
自分の手で抑えてうずくまる
こころは波に打たれ
ぼくは黒い海に落ちていく
       (「胸の渦潮」)

 現在というものは過剰なものである。現在は、光と色彩と音声と香りと手触りと味わいに満ちていて、その情報量と密度と質の充溢は、人間の容積・能力を優に超えている。そして現在とは瞬間に過ぎず絶えず流れていくものである。人間はだから、過剰な現在を置き去りにしたまま、それを過去に捨て去ってしまう。逆に言うと、人間は自らがとらえきれない現在に置き去りにされるのである。人間が現在を置き去りにし、現在が人間を置き去りにするという、相互の「見捨て、見捨
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