殿岡秀秋小論/葉leaf
 
、そこには非比喩・現実が生じるのである。比喩の極致は非比喩であり、想像の極致は現実なのである。
 殿岡は、このように様々な強度の実体性を備えた比喩を駆使するが、それを可能にしているのが、やはり初めに述べた彼の弱さなのではないだろうか。比喩は彼にとって武装ではなかった。意識的に武装すると武装の在り方が画一的になりやすい。だが殿岡にとって比喩とは、自らの体験を語るのにちょうどよい媒体であり、自らの想像力を泳がせるちょうどよい浴場なのである。自然にしなやかに自由に想像力を働かせていくことによって、様々な強度の実体性を備えた比喩が作られた。そこに定型はなく、無理な気負いもなく、ただ経験と混ざり合うときに
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