殿岡秀秋小論/葉leaf
 
力をたくましく発揮していくことで、比喩されるもの(自己意識)の実体性を弱め、比喩するもの(警吏)の実体性を強め、最終的には、比喩の舞台を、警吏という比喩するもののみが存在するという一重構造に帰せしめている。これは、雪だるまが存在するという非比喩の一重構造と変わらない。殿岡は雪だるまの思い出を語るのに何ら想像力を駆使していない。ただ記憶を語っているだけだ。だが、面白いことに、自己意識を警吏で比喩し、その比喩をどこまでも想像力を駆使して克明に描いていくことにより、比喩の二重構造は失われ、想像の産物であるはずの警吏は現実のものと等しくなる。つまり、比喩を克明に展開し、想像力を限りなくつきつめていくと、そ
[次のページ]
戻る   Point(3)