さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
く間なく、刷られる傾き。
(『さよならニッポン』「女房」)
ここでは何を指で払っているのかわからない。指で払われる目的となるものが無残に切断され拒絶されている。また、「一々」とは何の一つ一つなのかも分からない。何の一つ一つなのか、通常の文章では明記されるが、それが切断され拒絶されている。さらに、「傾き」のような体言止めの多用。名詞には本来何かしら言葉が続くはずだがそれが切断されている。この切断・拒絶の攻撃性は、まさに文脈を拒絶することで成立している。
ボードレールが攻撃性を文脈の中で説明し、また攻撃性の余波を意識していたのに対し、高塚はむしろ文脈自体を攻撃し、
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