さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
 
げ込まれるとすると、世界の居場所は高塚のいる外部ということになる。つまり、世界は常に外部にあり無限であるが、ボードレールはみずからを内部化し作品を外部化したのに対し、高塚は自らを外部化し作品を内部化した。ボードレールは自己を一応世界から切り離しているのに対し、高塚はまさに世界内の存在として世界と交感する。
 さて、この単純な図式は維持しうるのだろうか。それを検討する前に、内部と外部の境界で授受される二人の詩の在り方について検討していこう。

2.境界

2.1.攻撃性

 私は露台に近寄ると小さな植木鉢を手に取った。硝子屋の姿が玄関の表口に現れるのを待って、彼の担荷の後ろ枠のちょうど
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