さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
ま外界に存在しうる描かれ方をしている。その一方で、高塚の言葉は外界と矛盾する。乳房に屋根裏はないという意味で「乳房の屋根裏」は論理的に存在しない。乳房が翻ることはそのまま外界には受け入れられず、姫が身を翻すことで同時に乳房も翻るのだ、という解釈を媒介にしなければ外界に受け入れられない。さらに、雲級とは雲の分類のことであるが、分類概念を空間的に「並べ」ることは外界にとって受け入れられない。
ボードレールの描くものは外部に存在することが許容される。すると、ボードレール自身はそれを内部から見ていると考えるのが自然だろう。一方で高塚の描くものは外部に存在することが禁じられる。それゆえ、彼の描くものは内
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)