さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
 
きである」という義務が生じてくる。高塚の残酷さは、「攻撃性を自覚しながらあえて攻撃すること」であると同時に「攻撃性を自覚しているが故に進んで攻撃すること」であり、この両者の混合こそが彼の残酷さの特徴である。
 それに対してボードレールの攻撃性は文脈に依存していて、説明や責任の連鎖の中に置かれている。彼は自分の攻撃性について責任を負うが故に、それを説明し正当化しなければならなかった。彼の残酷さの中にも「攻撃性を自覚しているが故に進んで攻撃すること」が含まれているが、それが彼の残酷さに入り込むには説明や正当化という迂遠な道筋を通っているのである。
 つまり、高塚とボードレールの残酷さは、純粋な(1
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