さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
その意味で、故意のある攻撃こそが真に残酷だと考える。そこには二重の攻撃があるからだ。
2.1.で見たとおり、高塚の攻撃性は文脈に依存せず独立しており、その衝動と行動の即自性・完結性に特徴がある。その攻撃性の意識、すなわち残酷さは、それゆえ独特の特徴を帯びてくる。つまり、攻撃性を抑止する「やってはいけない」という心理的障害は極めて弱まってくる。その一方で、攻撃の快感やレトリックの快感が彼の意識を深く満たしていく。攻撃してはいけないという抑止力と、攻撃の快感を天秤にかけたとき、この純粋な攻撃においては攻撃の快感の方が勝利するのである。するといつのまにか「攻撃してはいけない」のではなく「攻撃すべきで
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)