歌謡曲日和 -あさき 赤い鈴-/只野亜峰
心情を描いていたはずの作品が少女への呼びかけへと意義を変えてしまう事を雨情は恐れたのではないでしょうか。四番目までであえて筆を止めることによって特異な意義を持たせる事なく少年の心情を描ききる事に徹底したからこそ五番の詩は世に出る事無く姿を消したのかもしれません。
けれども五番が全くの没であるかと言うとそんな事はなく、この五番が幻と消えたからこそ見えてくる『赤い靴』の姿というのもあったりします。当然ながら三番で歌われる少女の姿と五番で歌われる少女の姿というのは相反するものですね。三番では『青い目になって』つまり日本の事など忘れて異国の一員としてすっかり定着している少女の姿が想われていますが、五番
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