伏流、または地平について。/DNA
それを可能にしているのは、まず間違いなく、登場する役者たちが、スクリーンのなかでしっかりと呼吸しているからだろう。千景やサキや庄平が、それぞれの現実に絡めとられそうになりながら、そこに在ること。不思議なことに、彼、彼女たちがしっかりとそこに、「個」として立っていればいる程、わたしたちは容易に感情を移入することはできなくなる。それは、わたしたちが、同じように「個」として在り、呼吸し、この地平に立っていることを意識させられるためだ。それ故に、安易に「わかる」ということが拒まれる。
たしかに、三人の辿る軌跡を物語と呼ぶことはできるだろう。しかし、物語を語るためにひとが存在するのではなく、ひとが交わ
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