伏流、または地平について。/DNA
 
であり、千景のふたたびの「夏の恋人」となる庄平(鈴木常吉)の三人が織りなす、それぞれに葛藤と現実を抱え込んだ物語とが、全く同じ地平に立っているからだ。繰り返すならば、それは、物語のなかにドキュメンタリーの場面が入り混んでいるが故に、「現実」味が増すのでは全くない。(そのようなものは、まさに現実に味つけが可能であるかのような錯覚からしか生まれないんじゃなかろうか。)そうではなく、千景の夏も、サキの夏もそして庄平の夏も、それぞれに生きられながら、先程あげた男や女たち、そしてまた駅の構内や通りを行くひとびもまた、同じ夏を生きているのだ。それは、ひとつの地平の、創出といえるだろう。

地平の現れ。それ
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