ぼやけ、ぼやけ、ぼやけ。。。。。僕の今の批評観/石川和広
ーズへの違和感をひつこく大事にするには
街頭演説みたいなうざい景物になるのは、言葉を使うのにむなしーのよ
では、どーするか?
言葉への感覚の原風景は、この場合親父との会話だ。
もう、なんか感情的な、論証を欠いた、珍問答である。
しかし、珍問答しか、多分ひとは、できにくい。
そこにも、その人の本質は露出するので、むしろ、そこを
借りてきた猫みたいな正義より大切にしたいところだ。
すると、プラトンのソクラテス対話さえ、哲学めいたしつこい男同士の
珍問答である。
あつまって、なんか、善とか魂なんて、ありがたい論文では到達しにくいから
また、かしこい演説では、波紋を投げられないか
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