遺書にはならない足跡/セグメント
判断しづらいのかもしれない。また、家の環境と、それによる私の心情を告げたところ、精神的なところから生じているものでありメニエール病ではないかもしれないという言葉を受けた。だが、今現在も、メニエール病ではないという判断はされていない。それがまた私の不安に拍車を掛けるものでもある。
しかしながら、毎日は絶え間なく廻る。私がメニエール病であろうとなかろうと、たとえ神経過敏や聴覚過敏になっていようとなかろうと、学校に行こうと休もうとも関係なく、日々は確実に緩やかに廻り続ける。時間の早さというものは誰にも平等だ。だからこそ、本当に生きて行きたいのならば、負けてはならない。環境にも事情にも、自分自身にも。
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