遺書にはならない足跡/セグメント
 
は何が何でも生きていたい。だからこそ、こうして悩み、放射能の件でも必要以上に気に掛けてしまうのだろうと思う。一秒でも多く生きていたいから、死とはなるべく離れていたいからだ。
 しかしながら追い詰められた時の、死を想う感情が偽者だとか、程度が浅いだとかは私は思わないし、そのように友人などから思われてしまうことは悲しい。どうせ死なないだろう、死にたいと言っているだけだろう、本当に死にたい人間は黙って死ぬのだからこうやって告白して来ている以上、死ぬことはしないだろう、まだ大丈夫だろう。そう捉えられてしまうことが余計に私を追い詰めるような気すらする。
 現在の担当医とは別の医者に、大丈夫そうだと告げら
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