遺書にはならない足跡/セグメント
 
になるが、人は揺りかごから墓場まで個別の生き物で歩いて行くのだから。喜びや悲しみを幾度も幾度も繰り返しながら、人間は自らの埋まる墓穴(はかあな)を掘るように人生を歩んで行くしかないのだ。
 どうしたら分かって貰えるのだろう。私が本当に苦しいということを。時に死を想うほどに悲しみに溢れてしまうということを。それを薬でおそらくは抑えて生きているということを。医者に話すことと友人に話すこととは訳が違う。医者に話すことは、薬を得る為という目的が多分に大きい。なるべく正確に自分の現状や感情を伝え、それが一時的にでも異常と判断されるようであるなら、それを抑制、あるいは緩和する為の薬を出して貰わなくてはならな
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