遺書にはならない足跡/セグメント
友人と互いの環境を話す機会を持った時、ああ、自分は違っていたのだと静かに思った瞬間を今も強く覚えている。その環境については後程に記述するか否かは今は分からないのだが、とりあえずここでは省略させて頂く。しかしながら、最近になって私は思う。何故、あの環境で「さびしい」と思うことなく自律神経を保たせて来られたのか。また、そこまでの神経を持ちながら、何故、ここに来て「さびしい」と思ってしまったのか。それほどまでに震災は負荷を私に与えたのか。実質的には私は被災していないのに? 衣食住に困ることはないのに? 怪我もしていないのに?
だが、目に見える怪我だけが全てとは言えないのかもしれない。また、苦労は比べ
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