遺書にはならない足跡/セグメント
幾度救済すれば私は本当に救われるのだろう。
震災以降に覚えてしまった、自分はひとりきりで何をしてもひとりごとのようであるという感覚は未だ拭えない。一度覚えてしまった心情は、何かしらのきっかけがない限り変化することはないのだろうか。だが、二十四時間、全ての時間、友人に共にいてくれなどと言えないし、仮に少なくとも今の私に友人が同じことを言ったとして、それは無理なことだ。だから分かっている。無理な願いを私がいつの間にか抱えてしまったということに。
明日も私は電車に乗って、慣れた駅に降り立つだろう。瓶詰めにされた蟻のような心持ちで。それでも全ての事柄は等しい時間の下に廻るのだ。私も、誰も、皆。
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