批評の宛先/佐々宝砂
ために自分の個人的な好みなんかを説明するのだろう? なぜそんな面倒くさいことをしたがるのだろう? 私は詩と同じくらいに批評が好きだ、他人の言葉で語ることが好きだ。しかし、どうしてそうなんだろう? 誰のためなのだろう?
アホウな例だが、私はかつて、全文引用からなるラブレターを書いたことがある。古今東西の文学作品30作品ほどから自分に都合のよいとこだけ抜き出し、恣意的に並べて、私独自の言葉はひとつも書き加えることなく、ただ他人の言葉だけで愛を語ろうとしたのだ。このアホウなラブレターはちゃんと投函され相手のオトコのもとに届き、私はそのオトコと4年ばかり交際した。
どうしてそんなラブレター
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