しおまち/亜樹
 
を荒げたり、他人の陰口を言ったりするところを一度も見たことが無い。度のきつい丸眼鏡の 奥の目はいつもにこにこと細められている、そんな男だ。
「実はね、余之介君にお願いがあるんだよ」
「お願い、ですか?」
 養父は余之介が養子に来てからも、余之介が庄屋の息子であったときと同じように『君』をつけて余之介を呼ぶ。余之介の方は昔のように『薬のおじちゃん』と呼ぶわけにもいかぬから、『お義父さん』もしくは『柚太郎さん』と呼んでいる。
「いやね、僕ももう歳だから、いつ足腰が弱るかわからないだろう?」
「はあ」
 余之介は生返事を返した。そんな日はまだ随分先のように思える。何しろこの目の前の小柄な自称
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