しおまち/亜樹
ではなくても、女の中の鯨漁の情景はそれをおいて他にはないのだ。現と夢幻の入り混じったその情景は、この上もなく美しいに違いない。
それは余之介が大黄の匂いを嗅ぐたびに、黄色い空気に満ちた実家の土間を思い出すような、自分の中の原点の風景だ。
美しいその情景は、いつでも微かに胸を刺す痛みを伴っている。
「鯨が来なくなってからは山見――鯨の見張り番だね、それも無くなって、村の漁師衆はちょいとはなれた漁場まで、二ヶ月ばかしかけて鯵やら烏賊やら釣りに行くようになって、活気ってもんがなくなってく一方だよ」
それでもお飯食えてるんだから好い方だけどねと、溜息混じりにそれでも女は笑う。砂の様な笑いだ。
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