しおまち/亜樹
 
さんに惚れたって」
 余之介は刃刺と言うものが何なのか知らなかった。それを察したのか、女はああ、と笑って言った。
「まあ鯨漁の一番の花形だね。鯨目掛けて銛撃って、あのでっかい化け物染みた魚に手形包丁一丁で挑むんだ。そりゃあ、ただでさえ雄雄しい海男のますらをぶりも上がるってもんさ」
 二つの時の記憶がしっかりと残っているわけでもあるまいに、女は懐かしそうに頬を染めた。
 余之介は薄らと悟る。
 きっと女の中では微かに残った自分の記憶と、後から周りの大人から言って聞かされた記憶が混合して、区別がつかなくなっているのだろう。それは必ずしも虚像ではない。その華やかさ、勇猛さは実際のものと同一では
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