笑うカスタネット/m.qyi
 
引きだすことなどできない。先ほ
どの「人生」などというのもそもそも唯の言葉だ。しかし、「死んでいく時間」が実際に
「生きる」というのはどういう意味だ。それは、笑ったということではないだろうか。少な
くとも、一つの生のあり方として笑いは肯定できるのではないだろうか。

このような笑いを創り出すには、個人の深淵にまで迫って(本来無意味な)個人を描き
出せなければならない。だから、第三者の観察などでは不充分なのだ。自己追求にならざ
るを得ない。そこで見ている自己と見られている自己の構造的な対比を浮き彫りにして個
人の持っている創造性を喚起しているところに、石原さんの短歌の本質があるような
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