笑うカスタネット/m.qyi
 
いう状況に何の差もない。生きると言ってい
るのは、僕なのだ。生があるわけじゃない。そのように、個人は例え無意味であるにして
も、創造的なものだ。もともと、個人のような理念が想定でき、価値の喪失が促されてい
るのも、それが意識内のみで考えられているからだろう。しかし、この意識内に限れば、
個人はどうしても創造的なのだ、能動的なのだ。その証拠に、無意味を意味あるものに、
少なくとも笑えるものにすることができる。個人自身に意味は見出せないかもしれないが、
個人は構造的に創造の必然性を内包しているのである。個人の内面と同様、笑えるものを
対象としていくら分析したみたところで、笑える意味を引き
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