笑うカスタネット/m.qyi
 
許される事になるだろう。しかし、快楽もやはり個人の属性なのではないだろう
か。よく言われるプリファランスが個人的なものであるとしたら、僕らの理想的な社会で
も個人に属する快楽も損なわれる危険に多くの場合さらされている。経済学で言うような
利害計算のできる理性的なアクターとして個人を捉えるにしても、それだけのみで、社会
の安定したルールは得られないし、利害というのも快楽を無視しては考えられないだろう。
つまり、個人というものは理念としては存在していると言えるかもしれないが、現実に手
にとって分かるような形で存在しているわけではないように思われる。だからといって、
さっきの結婚の話でもそ
[次のページ]
戻る   Point(7)